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 これは事件の発端に過ぎない。それがシュウの最初に言った言葉だった。
 シュウは続けて、
「命を奪うことのみを目的にしているのなら、こんなまわりくどい方法はとらない。毒にしても、もっと即効性のある種類のものを選んでいたはずだ。都市同盟の戦力を低下させ、その間に本拠地を攻め落とそうとする作戦も考えられなくもないが、王国とて新皇王の即位で揺れ動いている現在、軍事行動に出ようとするなどとは考えにくい……。むしろその期間に同盟が攻め込むのを防ごうとするのが妥当だが、それにしても、もっとやりようがあったはずだ。……レオンの考えが、読めない……」
 シュウは腕組みをして、背もたれに深く身をうずめる。
「昔、似たようなことはあったんだがな……」
 ビクトールが口を開き、両隣に座るフリックとハンフリーに目をやった。フリックはビクトールに答え、
「しかし、あのときはすぐに戦いがあった。この時期に軍が動くことは考えられない、シュウはそう言っている……」
 ノックの後、クラウスが入室する。シュウとリウに一礼し、
「水槽の水の入れ替えは終了しました。汚染された水は……やはりなんらかのかたちで中和しないことには、土にも湖にも、返すわけにはいかないかと……」
 クラウスは続けて、水の汚染された時期が夕食時を過ぎてからであったために一般民への被害はほとんどなかったこと、一方で兵の交替時間に重なったために城内警備にあたる兵に多く中毒者が発生したことを述べた。
 クラウスに継いで入室したホウアンは、
「フッチくんとマクドールさんの協力で、解毒の方法は見つかりました。必要な材料は二つ、ですからためらいがちにフッチくんの言っていた三番目の材料は……あれは、竜の仮死状態が長く続きすぎたために生命力を取り戻す必要があって、リュウカン先生が求めたものと思われます。……ご安心ください」
 眼鏡の奥で、ホウアンの眼差しが優しく細まる。ビクトールもフリックも、それにハンフリーも目に見えて肩で安堵の息をついている。
 ホウアンに並び、マクドールが部屋に入る。入り口近くの壁に寄りかかっていたルックの服の袖をつかむと、
「材料の入手については僕らに任せてください。明け方のうちには戻ります」
 僕ら、を強調してマクドールは微笑む。
「ルックはグレッグミンスター城の屋上に、そして僕は……」
「待てよ! なんで僕がグレッグミンスターなんかに……」
 マクドールはルックの肩に手を置き、
「そう? じゃあルックが代わりにシークの谷に飛んで群れをなす魔物を得意の風の魔法でなぎ倒して迷路みたいになってる道を迷いも無く進んで一番奥にある月下草を取ってきてくれるんだね? 頼もしいな、僕も助かるよ」
 ルックは無言で眉をしかめ、笑顔のマクドールから視線をそらす。ため息をつき、小声で呪文を唱える。青い光とともに、ルックは姿を消していた。
「では、僕も行ってきます」きびすを返そうとしたマクドールに、
「あ、待ってください! 僕も行きます!」
 リウが立ち上がる。マクドールは首を横に振った。
「リウにはリウの、やらなきゃならないことがある。だからここは僕に任せて……」
 ハイヨーが駆け込み、悲鳴に似た声を上げる。
「た、助けるよ〜! ナナミちゃんが厨房で、なんだか大量の薬草を大型の鍋で煮込みだしたよ〜! 湖から汲んできた水だから大丈夫なんて言ってるけど、食堂には煙と蒸気が充満して目も開けられないし、それに牧場に流れ込んだ煙を吸ったユズちゃんの羊が、揃ってうなされだしたよ〜!」
 リウはシュウを見た。シュウはうなずき、
「あなたにしか、できないことだ……。すぐ、戻ってきてください」
「わかった!」リウが飛び出していく。マクドールは会議室を出、ビクトールとフリックが続いた。
 扉の外でマクドールは振り向き、
「ありがとう、ビクトール、フリック……。大丈夫、僕は一人で行ってくるよ」
「……でもよ……」
 ビクトールが、決まり悪げに頭をかく。
「お前の強さを心配しているわけじゃない。だが、あの場所は……」
 フリックの言葉に、マクドールは目を伏せる。
「まあ、ほんとなら……正直言って、行くのは気が進まないけど……。だけど、そうも言ってられない。誰かが行かなきゃならないのなら……」
「でも! 俺は……できるならお前には、行ってほしくはないとさえ……。一度は行ったことがある谷だ、俺が代わりに行くことだってできる。無理は、しないでくれ……」
 マクドールは顔を上げ、フリックに笑顔を見せる。
「……僕が、行きたいんだ。心配しないで」
「だけどな、なにも……一人で行くことないだろ? 俺も、フリックもいるんだ、せめて俺か、こいつだけでも……」
「気持ちは嬉しいけど……多分、そろそろ二人とも、出陣の用意をしなくてはならなくなるはずだ。だからそのときのためにも、二人はここにいたほうがいい」
「出陣って、でもシュウは」フリックの言葉をさえぎり、
「きっとリウの手前、シュウさんは口にしていないだけだよ。僕はジョウイを直接には知らないから、こう言えるのかもしれないけど、でも、おそらく明日には、敵軍が姿を見せるはずだ」
「敵軍って……、ジョウイがか?」ビクトールの言葉に、
「新皇王としてジョウイは即位したばかりなのだろう? 当然、反対する連中は出てくる。普通なら時間をかけて味方に引き込むものかもしれないけど……。もし王国が同盟との戦のために、短期間のうちに国を統一したいと考えたとしたら……。何よりジョウイはもともと、王家の貴族たちの後ろ盾もなく皇王になったのだから……それを思えば……」
 ビクトールは顔を暗くする。フリックも目を閉じ、息を吐いた。
「会議室にリドリーさんとキバ将軍がいなかったろ? 二人ともすでに、別働隊として出陣してる。クラウスさんが、シュウさんの命令を受けて、動いてるんだ。もう戦いは始まってる。僕もなるべく急いで駆けつけるよ、だから……ルックが戻ったら、迎えに来てほしいって言ってたって、伝えてほしい」
 行ってくるよ、とマクドールは一階に続く階段に向かう。不意にその足をとめ、
「シュウさんに伝えて。今回、敵がこの手を使った理由には、ひょっとすると……一つには僕がここにいたっていうのが……あるのかもしれないって」
 マクドールはうつむいた後、二人に笑顔を向ける。
「じゃあ、無事で……。ビクトールも、フリックも……」
 遠ざかるマクドールの背中を見送り、
「……何を、気にしてるんだよ……」
 フリックは呟く。ビクトールは無言で髪をかきまわす。その二人の横を、全速力でリウが駆け抜ける。すれ違いざま、
「マクドールさんは! もう行ったのっ?」
「ああ! 多分、ビッキーのテレポートでな!」
「わかった! ありがとっ!」
 エレベータの来る時間も惜しいらしく、リウは階段を転げるようにして降りていく。ビクトール答えた後に、
「俺だってほんとうなら、あんなふうに真っ直ぐにマクドールを追いかけて一緒に行きたかった……って?」
 フリックは答えない。
「ま、知ってれば知ってるだけ、そばにいることができないときだって、あるだろうよ」ビクトールはフリックの背を叩いた。
「ほら! 仕事だ仕事。俺たちにだってやることはある」
 フリックはため息まじりに、
「まあな……。リウを見逃したってことで、揃ってシュウ軍師の小言を聞かなくてはな……」
「……なあ、やっぱり俺たちも、二人を追って城を出ようか……?」
ビクトールは半ば本気で、そう呟かずにいられなかった。



 ホールに降りたマクドールは、鏡の前で眠りこけていたビッキーを起こす。
「うにゅ? リウさん?」
「……僕だよ、マクドール。起こしてごめん。あのさ、竜洞の西の、シークの谷って憶えてるかな? そこに行きたいんだけど」
「うん……。呪文……わかんない……」
「うん、僕もわからない……。だから頼んでいいかな……」
 ビッキーは寝言とも呪文ともつかない何かの言葉を呟き、お約束のように最後にくしゃみをする。その音が消える頃、マクドールの姿も消えていた。
 そして。
「ビッキー、起きてくれる? ビッキー!」
「……うにゅにゅ……マクドールさん……?」
「僕だよ、リウ。起こしてごめ……」
 リウは最後までその言葉を言うことはできなかった。言う前に、体は見知らぬ場所にテレポートしていた。





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