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 草の波を縫うように歩く、赤い服の小柄な背中がある。
 腰をおおうほどに茂った草むらの中を進む、少年の後ろ姿を追って、テッドもまた歩いていた。
 露を含んだ草地は柔らかく、一歩足を踏み入れるたびに初夏の陽射しに暖められた緑の匂いが体を包む。上り坂を描いている斜面の角度が少しずつ増してきたように思うのは、疲労のせいだろうか。
 けもの道はけもの道というだけあって、人が利用するには快適とはいえない代物だ。「近道しよう」と持ちかけたのは先を歩く彼であり、賛成したのは他ならぬテッドだった。賛成したのは自分なのだから、今更道の状態について不平を言うつもりはない。
 つもりはない……が、それでもどんな道かは事前に少しくらい、話しておいて欲しかった……。
 少年は棍を器用に操り、深い草をかきわけテッドの道を開いてくれている。
 だいぶ息も上がっているようだし、疲れだって出てきているはずなのだけれど、それでも彼は、手を休めない。
 半ば意地も手伝っているのだろうが、子どもが見せるこういう真っ直ぐな気づかいってのは……嫌いじゃない。
 見かけなら自分と同じくらいの年齢の、男の子のいる家に世話になったのは、そういえば、ずいぶんと久しぶりのことで。
 そして更に久しぶりなことに、彼は、出会ったばかりの素性のわからないような奴にでさえ、掛け値なしに「友達」と呼んでしまうような子どもだった。
 ほんとうなら、再び旅に出ても何とかなる程度に体が回復したら、出て行くはずだったのに……

 少年は振り返り、琥珀の眼差しをテッドに向けた。
「あともう少しだよ。ここが一番草が深いところなんだ。でも、ここを抜けたらほんとうにもうすぐだからね」
「わかったよ、マクドール」
 苦笑するテッドに、マクドールは笑顔を見せる。
 視線を前に戻し、再び歩き出す。

 怪我に空腹が手伝い、一人旅に慣れていた身には珍しくひどく衰弱しきっていたところを、マクドール家の主(つまりこの子の父親だ)に拾われたのは二ヶ月ほど前のこと。
 この家に来てひと月が過ぎ、体力が回復し、さていつ出て行こうかとテッドが考え始めていた頃、既にマクドールの方は、テッドをどこに遊びに連れて行くか決めてしまっていたらしく。

 そして、結果として……

 断る理由も思いつかなくて今、こうして付いて来ているようなものだが、それでもマクドールが楽しげにしているからだろうか、あまり悪い気がしないから不思議だ。
「けどな、三百歳の年寄りには随分な重労働だぞ、これは」
 引きずるように足を前に運ぶ。革のブーツは体の疲労に構うことなく、機械的に前進を続けている。
 こういうときは一度でも立ち止まったが最後、それ以上は一歩も前に進めなくなってしまうものなのだ。
 おそらくマクドールも本能で知っているのだろう、休みもせず、一定のペースで歩き続けている。
 斜面は確実に急な上りになっていた。
 手で草を掴み、それを支えにテッドは体を持ち上げる。繰り出す足が重い。
 足元に不意に光が射し込む。
 顔を上げれば、草の層に向けてマクドールが棍を差し入れたところだ。
 草をかき分け、マクドールが隙間に身を滑り込ませる。
 葉の間からのぞく陽光が、一気に目に飛び込んでくる。
 マクドールは光に向けて斜面を駆け上り、叫ぶ。
「外だ! 外に着いたよ!」
 草の向こうからマクドールは手を差し出した。
 濡れて急な斜面は滑りやすく、テッドは無意識のうちに右手を伸ばし……

「どうしたんだ?」

 マクドールが声をかける。
 革手袋に覆われたテッドの手は、空中で止まったままだ。

「何でもない。気にしないでくれ」

 テッドはマクドールの手を取った。助けを借りて草むらから抜けたテッドの体を、涼やかな風が包み込む。
 テッドは右手に視線を落とした。
 不意に蘇る、幼い頃の、遠い記憶。
 右手の甲に刻まれた紋章の闇にも躊躇わず、炎の中で強くこの手を包み込んでくれた、誰か……

「疲れたのか? それとも、具合悪い? 外を歩けるようになってから間もないし、無理させてしまったかな」

 マクドールの声に、テッドは顔を上げる。首を横に振り、

「いや、そんなことない。案内が欲しいって言ったのは俺なんだからさ。それより、この辺りのこと、教えてくれるんだろ?」
「ああ! 任せといて!」
 明るく答えるマクドールから、テッドは視線を逸らす。

 マクドールにとっては、自分の住む街の紹介で。

   テッドにしてみれば、ここを離れどこへどうやって向かうか考えるための、情報集めで。

 紋章の呪いから誰かを守るということが、その人と親しくなる前に離れることだと……知ってから、何度も繰り返してきたことなのだけど……
 こいつの示す真っ直ぐな好意に、応えることのできない自分が、今更なのに……

「……ごめんな」

 帝都を見つめるマクドールの横顔に、小さく、呟いてみる。

「テッド、何か言った?」
 顔を向けたマクドールに、
「いや、何でもない。それよりこの辺りのこと、教えてくれるんだろ?」
「ああ! 任せといて」
 マクドールは笑顔でうなずく。二人の傍に並ぶ木々を指差し、
「まずこれがさ、この丘を登る前に見えていた木立。南方から帝都に来るときはみんな、これを目印にして来るんだよ。そしてこの木を背に帝都を見ると……」
 テッドの手を引き、マクドールは並んで帝都を見下ろす。
 二人の横を通り丘を下り、ゆるやかなカーブを描いて伸びる石畳の街道が、帝都まで続いている。
 街道の右手は一面の岩だらけの荒野で、地平線に赤茶けた山が遠く霞んで横たわっている。
 帝都とは反対の南に目を向けると、こちらは草原が広がっており、その中を街道が文字通り真っ直ぐに貫いている。
「東の荒れ野はロックランドに、南の街道はレナンカンプに続くんだ。ここからは見えないけど、西の草原の向こうにはトラン湖に流れ込む川があるはずだよ。川沿いに北に行けば……」
「都市同盟領。俺の来たところだな」
 グレッグミンスターの北に位置する山脈を越えれば都市同盟領で、更に道は遠くハイランドに、ハルモニアに続く。同じ空の下だったら、森を越えて海を越えて、どこへだって行ける。
 テッドは空を仰ぎ、首をめぐらせた。
 この空の下、どこを歩けば、俺は故郷に帰れるのだろう。
 もう家並みも残っていない、待つ人もいない、焼け跡さえも何もない、森の奥の、小さな村へ……

「テッド?」

 呼ばれて我に返る。いつの間にうつむいていたのだろう。

「あ、悪い……。ちょっと考え事を……あのさ、その……家のこと、そう、お前の家ってさ、ここから見て帝都のどの辺りになるのかな……って」
 うつむいておきながら帝都がどうとか家がどうとか、そんなこと考えるなんて普通、不自然なこと極まりないんじゃないだろうか、俺。
 テッドがテッドに抱いたそんな疑問を、しかしマクドールは尋ねてはこなかった。
「ここから見えないことはないんだ。白い壁の、二階建ての建物だから……あれだよ」
 爪先立ちになってマクドールは、都の東側を指す。
 家並みから少し離れたところ建つ、緑の木立に覆われた屋敷が、光を受けて白く浮かび上がっている。この辺りはいわゆる高貴な人たちの住む一角なのだろう、造りの立派な、大きな家が随分と多い。
 通りに面して並ぶ白壁が、午後の日差しを受けて一層明るく輝いている。
 テッドは額に手をかざし、
「やっぱりこう見るとさ、グレッグミンスターって白壁の家が多いよな。なのに何だって黄金の都って言われてるんだろう。金でも採れるとか? だったら掘り起こしてみるのもいいんだけどな」
「そのときは僕も呼んでよ、面白そうだ。で、グレッグミンスターなんだけど、街がその名の通り、黄金に輝いて見えるのは晴れた日の夕方で、実は僕はまだ、見たことがないんだ。父さんの話だとほら、街を取り囲む水路、あれが全部夕陽を映して金色になるんだって。それから城の前の人工池の、噴水も。季節や時間にもよるけど、時には金色の噴水に、七色の虹が架かっているのが見えるんだって。父さんは何度か見たことがあるって言ってた」
「黄金の都、七色の虹……か。歌にしたら何か一曲いいのが作れそうだな」
 テッドは城の噴水に目を遣り、そのほとりに白い楕円形の天幕が張られているのに気づく。
 天幕の天井は高く、普通の建物の三階分はありそうだ。





書いてて思うこと

 幻想水滸伝ボーカルアレンジの『月夜のテーマ』に触発されて書いた作品。聞いたことのない方で、もし歌詞の内容だけでも知りたい……という方は、[GarnetStar]別館 幻想水滸伝ボーカル和訳集サイトへどうぞ。目次と入り口のページよりリンクしています。




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