15

 目を開けると、白い天井がある。
 僕はどこかのベッドに、寝ているようだ。
 ここは、どこなんだろう……?
 顔をめぐらせると、傍らにテッドが座っている。
 僕と目が合うと、ほっとしたように、小さく笑う。
「よかった。起きたんだな」
「ああ……。けど、ここは?」
「メルセトの宿屋。あのあとコランバルから馬車を飛ばして、ここに来たんだ」
「コランバル……。ああ、そうか」
 その地下で導者と戦って、僕は……
「アルドは薬を貰いに行ってる。リーダーは隣の部屋で、ハインズとクープ相手に話をしてる最中だ。今日の午後の船で、二人はメルセトを発つらしい。もし具合がいいようなら、顔だけでも見たいって言ってたぜ。二人とも心配してたからな。ハインズなんて、自分の金を出して馬車を雇ってくれたんだぜ」
 いいとこあるんだな、ハインズ……
「僕は今まで眠ってたのか? どれくらい寝てたんだ?」
「丸二日ってとこかな。このまま眠り続けていたらどうしようって思ったよ。眠ってる間、水しか口にしてなかったんだぜ。腹とか減ってないか? 欲しいものとかあれば取ってくるよ。どうだ?」
「いや、今はいいよ。でも……そこのサイドテーブルにある水が、欲しいな」
 僕は思い出す。荷物の中に、そういえば……



 メルセトの港で、僕らはハインズたちと別れる。
 彼らはこれから、クールークの東回りの船に乗って海賊たちと接触をとり、それから赤月へ帰るのだ。
 僕が回復したことで気が緩んだのだろう。テッドは疲れが出たらしく、見送りが済むとすぐに宿屋に帰って行った。アルドもテッドと一緒に宿屋へ向かい、僕とリーダーだけが、水平線に船が消えた後も、港に立って海を見ていた。
「海で別れた者とは必ず、再び海で出会う……。ラズリルで昔から言われている言葉です。彼らは赤月の人ですが、僕はなぜか、また会えるような、そんな気がします」
 リーダーは言う。
「海で別れた者……リーダーはその人を探して、いつも海を見てるのか?」
「……なぜ?」
 リーダーが不思議そうに、僕を見ている。
「いつも僕と会うときは、海を見てたじゃないか。夜の船でも、メルセトでも」
「そういえば、そうですね」
 リーダーは笑顔になる。
「会えると、いいな」
 僕は言う。それが一体誰なのか、口にした僕でさえ分からないままに。
「……ええ」
 リーダーは短く、そう答える。
 そのあとはしばらく無言で、僕らは海を見ていた。



 夜も更ける頃、僕は一人でベランダに出た。
 満月が煌々と、夜空を照らしている。
 明日の朝には僕らもメルセトを発つと、リーダーは言った。街を離れ、人目につかないところで手鏡を使い、本拠地に戻るのだ。
 でも、僕は……
「……くちゅん!」
 くしゃみの音と共に、ビッキーが現れる。
「無事、記憶を取り戻せたんですね。リーダー」
 僕をこの時代に送り届けてくれたビッキーが、笑顔で立っている。
「うん、みんなのおかげだよ。ありがとう。……でも、少しだけ、時間を……」
「そうですよね、お別れ……言いたいですよね。門は開いておきますから、後から来てくださいね」
 ビッキーは言うと、青い光に消える。
「お別れ……か」
 僕はどこかへ行くあてがあるわけでもなく、ベランダを出ようと扉を開け、廊下を歩いてくるテッドに、出会った。
「何だ、外にいたのか? 昨日までは寝込んでたんだからな。あまり無理はするなよ」
「そうなんだけど……月がきれいだからさ」
「月なんていつだって見れるだろう」
 言いつつもテッドは、ベランダに歩いてくる。
 こうして月を見て、僕はテッドと、いろんなことを話したんだ。
 僕は、百五十年後のテッドと。
 テッドは、十数年前の僕と。
 いま、僕らはここでまた出会えたのに、互いの時間は、かみ合わない。
「思い出せなくて、ごめんな」
 テッドが呟くように、言う。
「いいんだ。だって、記憶はもう戻ったんだから。いつか、思い出せるさ」
 僕は笑う。
 テッドは、僕に会える。でも僕はもう、テッドに会えない。
 今はせめて、このテッドが僕に出会えることを……喜ぼう。
 僕は手に持っていた袋を、テッドに差し出す。
「これ、メルセトの市場で買ったんだけど、僕は持っていけないからさ、どこかに植えてくれないかな。僕の故郷にはたくさん咲いてる花で、僕も育てたんだけど、うまくいかなくて。育てられるようになった頃には……白い花しか、贈ることができなくなっていた」
「まあ、いいけど……」
 テッドの返答は消極的だ。
 そりゃそうだ。苗なんか貰っても旅先では邪魔なだけだろう。
 第一、ほんとうに渡したかったのは苗じゃなく……
「ごめん、やっぱり荷物になるよな」
「いいよ。それは構わない。でも、」
 テッドは真っ直ぐに、僕を見た。
「お前、どこかに行ってしまうのか?」
「……、ああ」
 あのときと、同じだ。
 隠された紋章の村に飛ばされた後、社に生まれた青い光の向こうに、幼いテッドを残してもとの時間に帰らなくてはならかった……あのとき。
「俺、またお前に会えるよな。そのときまで俺、お前のこと……憶えてるから」
「……それは、」
 できない、と、僕は言おうとした。
 今、僕がここにいるのは、ソウルイーターの記憶が失われたことで途切れた絆を、もとに戻すためだったんだ。
 歪みを正すために、僕はこの時空に来て、縁を作った。
 だから、その歪みが消えれば、その縁は消える。記憶も、その存在ごと消えていく。
 でも、それでもいい。
「……ありがとう、テッド」
 少なくとも僕だけは、憶えていられるのだから。
 僕の後ろで、青い光が明るく輝く。
 催促するように青い門が、強い光を放っているのだ。
「そろそろ……行かないと。最後に会えて、よかった」
 門に向かって、歩き出す。
 青い門の前に近づいたとき、僕は振り返る。
「……元気で」
 そう言って、背を向けようとしたとき。


「待って!」

テッドが叫ぶ。


「もしかして……。お前、あのときの、」
 声は渦のように流れる光の音に消え、聞こえない。
 でも唇が、動いている……


「お兄ちゃん……?」


 答えるより先に、光が僕を呑み込む。
 視界が青に遮られ、テッドの姿が見えなくなる。



 そうだよ!



 声にならなくても、届かなくても、
 僕は叫ぶ、


 そうだよ!


 僕は……




 待ってるから……!



 
  
   
    

書いてて思うこと


 

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