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 翌朝、僕らは小型の船に乗ってイルヤの港にいた。
 船には屋根らしき覆いはついているが、ほとんど釣り船のようなもので、これで外洋に出るなんて、普通だったら考えられないことなのだけど、この船の底には、普通ではない秘密が隠されている。
 海面から、長い金髪の女の人の顔がのぞく。
「リーダー、そろそろ、いいか」
 色白の肌に青い目、赤い唇、整った顔立ち。  人間離れした美しさを持つ彼女は、文字通り人間ではなく、人魚だ。彼女たち人魚五姉妹が、船底を持ってクールークまで運んでくれる手はずになっているのだ。
 リーダーがうなずくと、
「わかった。日暮れまでにはクールークに着く。速い」
 そう言って、海の中に消える。
 次の瞬間、強い衝撃とともに船は発進し、ありえないほどの高速で、クールークに向かっていく。
 このスピードには追いつけなかったのだろう、海では魔物に遭遇することもなく、僕らは無事クールークの岸壁に着いた。
 ここからは岩に阻まれて見えないけれど、遠く西の向こうには、エルイール要塞が建っているはずだ。
 日は暮れつつあるが、すぐに野宿の支度をすれば充分間に合う。
 僕らは海岸から離れた空き地に場所を定め、準備に取り掛かる。
 焚き付けになる木切れを探して、僕は森の近くへ歩く。
 僕の向かった先にはもうテッドがいて、そういえば野宿に必要な物資の調達の仕方もテッドに教わったんだってことを、思い出す。
 帝国の任務でロックランドに向かう途中、一緒に木切れを探したり、食料を探しに歩いたりしたこと、このテッドは……憶えてないんだよな。
「テッド!」
 僕の声に、テッドは顔を上げた。
「お前かよ。とっととやることやらねえと夕飯も食えないぜ。手が空いてるならその木のかたまりを持っていくの、手伝ってくれ」
 テッドは自分の後ろにある、木切れの山を指差した。
「わかった」
 僕は歩み寄る。木切れを二人で手分けして持ち、来た道を戻る。
「テッドは、いままでずっと一人で旅をしてきたのか?」
「……まあ、ほとんどはな」
「旅に出たときのこと……憶えてる? いつから旅に出たのか、とか、旅に出る前、どこにいたのか、とか」
 お前には関係ないだろう、くらいのことを言われるのを覚悟で、僕は、訊いたのだけれど。
「……憶えてない」
「え……憶えてないって……、故郷の、ことを?」
「気がついたら、旅をしていた。それまでどこにいたのかも、どこへ行こうとしていたのかも、忘れた。俺は、この軍に来る前は、霧の船ってやつに乗ってて……乗る前の記憶は、ほとんど、ないんだ」
「そんな……!」
 僕はテッドに向き合い、詰め寄るように、
「憶えてないって、じゃあ、テッドのおじいさんのことも? 村の人のことも? 村が焼かれたことも? みんな? 紋章のことも……全部?」
「お前、何を言って……」
「何を、じゃないだろ! 全部、テッドのことじゃないか!」
 僕はテッドの肩をつかんで揺する。テッドが冗談を言っているとは思えない。じゃあこれは……一体、何なんだ?

 ビッキーの言葉が、よみがえる。


 私、小さい頃の記憶って、ないんです。忘れたなら忘れたって、その記憶だけならあるはずなのに、それもなくて、それどころか少しずつ、記憶をなくしてる気も……。


 そう話してくれたビッキーの、寂しそうな表情を僕は見ている。

 だけど少なくとも僕の知っているテッドは、そんな顔で故郷の話をしたことなんて、一度もない。僕にわかる範囲で、僕が知っていても構わない範囲で、テッドは自分の故郷のことを話してくれた。祖父に育てられたってことも、教えてくれた!


 僕の足元で、木切れの折れる音がする。抱えていた物を、いつの間にか落としてたんだ。
 僕はテッドの肩から手を離し、後ろにさがった。
「……ごめん、僕……これを拾ってから、後から、行くよ……」
「わかった」
 テッドは言うと、僕の横を過ぎて、先に行ってくれる。
 テッドの背を見送り、僕は、その場に座り込んだ。
 僕だって、紋章の記憶があるわけじゃない。でも、それでも紋章を宿して生きていけるのは、この紋章を託したときの、テッドのことを、憶えているからだ。

 テッドがいるから、僕は、ここにいる。

 でも、テッドは?

 紋章を託した祖父のことも忘れているのなら……それなら、どうして自分が呪いを背負ってまで紋章を宿し続けているのか、テッドは、知らないのだ。
 視界がにじむ。
 それじゃ、あんまりじゃないか……


 *
 
  
 夕飯の後、焚き火を囲んで、僕らは寝る支度を始める。
 火の番は交代で、最初はリーダーだ。
 三人が眠っている間、リーダーは起きていて、リーダーがアルドを起こして寝て、アルドがテッドを起こして寝て、テッドが僕を起こして寝て、僕はみんなが起きるまで起きてる。
 こういう野宿も、久しぶりだ。
 僕はテッドの横に座る。
「答えたくないのなら、それでもいいよ。……テッドはさ、紋章を手放したいって思ったこと、ない? 今でもそう思う?」
 テッドは炎を見つめたまま動かない。僕に見えるのは、テッドの横顔だけだ。
「思わない」
 短く、はっきりと、テッドは言う。
「そうか……」
 僕も、思わないんだ。
 口に出しては言えないから、心の中だけで、言葉にする。
「でも、俺はなぜそんなに、この紋章を持っていたいって、思うんだろう……」
 テッドは呟くように、言う。
 膝を抱え、顔をうずめる。
 どんな記憶であれ、過去にあったこと、一緒にいた人たちのことを思い出せれば……そうすればテッドは、この問いに自分なりの、答えを見つけることができるだろう。
 それは、テッドにとって、悪いことではないと……思う。
 それに、僕のことを、思い出してほしいって、ほんとうは……。
 でも、テッドが僕と出会い、紋章を宿したのは村を焼かれ、祖父を失ったときだ。
 思い出したくないって、そう思ってても……仕方ないよな……。
「……なあ、お前ってさ……」
 火のはぜる音に消えそうになるくらい小さな声で、テッドは言う。
「なんだよ」
 テッドはゆっくりと、顔を上げた。

「誰、なんだ?」

 その問いに、何もかもぶちまけてしまいたいと……そんな思いが、胸をよぎる。
 僕はただ、小さく笑った。
「……百五十年後に、わかるよ」
 テッドは口もとを緩める。
「変な奴だな、お前」
「ああ。僕は、変な奴だよ」

 お前の親友だからな。変わってて当然だろ。


 
  
   
    

書いてて思うこと

 話も中盤。ここから展開は早くなる……はずです。

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