夕暮れの頃、僕は再び甲板に出た。
海に溶けるように、陽が沈んでいく。
こんな夕陽の中、小さいテッドと僕は、別れたんだ。
ソウルイーターを宿したばかりのテッドの手は、まだ小さくて、年齢だって、まだ子どもで。
その小さな体で独り焼け跡を出て、旅をして……
僕は右手の甲を、左手に包む。
真の紋章を引き継いだ者は、それまでこの紋章を宿してきた者の記憶もまた、受け継ぐのだと……僕はレックナートさんから、聞いた。
でも、解放戦争とデュナン統一戦争という大きな戦いを終え、それから更に数年の時を経ても、僕はソウルイーターの宿主の記憶を、見たことがない。
テッドの歩いてきた道、見てきた景色、出会った人たち、出来事、その記憶を僕は、テッドと共有できてはいないのだ。
ここで僕が成すべきことを終えたなら、そのときにはこの紋章は、僕に何かを語りかけてくれるだろうか。
レックナートさんの言ったように、断ち切られた記憶、紋章との絆を得ることができたなら。
でも、どうすればその記憶を得ることができるのか、僕は知らない。
知らない時代の、知らない場所で、何をどうしたらいいのか。
テッドは僕の側にいてくれてるけれど、僕の知ってるテッドじゃない。
僕は一体、何ができるんだろう……
深く息を吐き出し、バンダナを解く。
風に舞う緑の布の端は、ほつれたままだ。
この布の端を切り裂いて、包帯代わりに使ったからだ。
村に飛ばされたとき、紋章を隠すためにテッドの右手に巻いたこと……テッドは忘れてしまってるんだな……。
「……くちゅん!」
すぐ側でおなじみのくしゃみの音がして、顔を向ければビッキーが隣に立っている。
「マクドールさん、よかった。ここにいるってことは、私無事に送り届けていたんですね」
杖を片手に、ビッキーは微笑む。
「ああ、きみは僕をここに送り届けてくれたビッキーだね。うん、まあ、無事に……着いたよ。ありがとう」
ビッキーの今までのテレポート歴を振り返れば、大成功といってもいい……よな。
「レックナートさんと星辰剣さんの力を合わせても、マクドールさんがここにいられるのは、半月くらいだって。だからなんとか、その間に……」
「分かってる」
そう、僕がここにいるっていうことだけで、レックナートさんと、星辰剣と、ビッキーの力を借りているのだ。
弱音を吐いてる場合じゃない。
けど……。
ビッキーが小さく笑った。
「マクドールさん、落ち込んでますね」
「落ち込んでるっていうか、手がかりがなくて困ってるというか……」
「顔に書いてますよ。テッドが僕のこと憶えていないなんてショックだって」
「え? ええっ?」
うろたえてるな、僕……
「……私から見れば、テッドさん、うらやましいです。自分が忘れている過去のことを、こうして憶えてくれている人がいて、その記憶を大事にしてくれていて……。私、子どもの頃の記憶って、ないんです。忘れたなら忘れたって、その記憶だけだったらあるはずなのに、それもなくて、それどころか少しずつ、記憶をなくしてる気も……。実は私、どうして自分がそうなのか、ちょっと心当たりがあるんです。でも、それは……この船に乗ってるビッキーも、きっと知ってるから、私は彼女に言わないでおきます。過去の事象に介入しちゃいけないって、星辰剣さんも言ってますし」
「……まあね……」
でも今でも僕は考える。過去に飛ばされたあのときテッドに、せめて、赤月帝国の皇妃は危険だから近づくなって、言っておけばよかったって……。
「それじゃあ、この船の私によろしく」
ビッキーはテレポートで消える。
日は沈み、青い薄闇が辺りを包み始めている。
風もだいぶ冷たくなってきた。
戻ろうかな、と船室に足を向けたとき……
こちらに歩いてくるテッドの姿に気がついた。
「ここにいたのか。探したぜ」
「……なんだ、そうと知っていればもっと隠れてたのに」
テッドは沈黙を返す。
やっぱり三百歳のテッドじゃなきゃ、通じなかったか。
「どうやら船酔いで参ってるわけじゃないみたいだな」
「ああ、そういえば……」
本で読んだことがある。外洋を航海する船は特に揺れが大きいため、船酔いという症状に悩まされる場合があるのだと。確か具合が悪くなるんだよな。二日酔いみたいなものだろうか。
「うちの軍師が呼んでるぜ。作戦室に来いって」
きびすを返し、船室に向かって歩いていく。
分かってはいた。今のテッドが、用もないのに僕を探すわけがない。
前を歩く背中は、同じなのにな。
……訊いてみようか。
僕のときは失われていた、紋章の記憶。
「テッドは、右手に真の紋章、宿してるんだよね?」
答えはない。船室に続く扉を開け、テッドは先に入っていく。
「その……真の紋章って、前の持ち主の記憶をそのまま引き継ぐって……。テッドは、どうなんだ? そういうの、ない?」
テッドは歩みを止めた。
「お前は真の紋章、宿してるのか?」
「え……、」
とっさには、答えられない。
「そうじゃないなら、変な好奇心なんて捨てちまえ。こんなものに関わったって、ろくなことにはならないからな」
「……好奇心って、そんなつもりじゃ……」
振り向きもせず、テッドはまた歩き出す。
確かに今のテッドは、僕がソウルイーターを引き継ぐことになるって、知らないのだから、そう思うのも無理はないけど……
……今回のことに関しては、やっぱりテッドに頼らないほうが、いいんじゃないだろうか。
宿星の集うこの時間、この場所を、レックナートさんやビッキーが特定しやすかったから、僕はここに来たけれど。
問題の鍵を握るのはこの紋章なんだ、だから、同じ紋章を宿しているテッドに協力してもらうのが一番だって、そう思ったけれど。
たった半月の間に、テッドからの信頼と協力を得て、解決するなんて……難しい、よな……
テッドにはテッドの事情があるし、何より今は、戦いの真っ最中じゃないか……
「ごめん、もう、訊かないよ……」
僕はテッドの背中に言う。
テッドはただ、歩き続け、作戦室とプレートに書かれた部屋の前で足を止めた。
扉に手をかけ、
「俺は、あんな言い方しか、できないんだ。……悪い」
僕はテッドを見たが、うつむいた顔の表情までは、分からない。
テッドは僕の答えを待たず、中に入って行く。
僕もまた、その後を追った。
長らくお待たせいたしました。続きです。
ここでやっと、坊ちゃんがこの時代に来た理由が判明しております。
つれないテッドと、落ち込む坊ちゃん。
次回から話はどんどん展開していく……はずです。
お暇な方、どうぞ付き合ってやってください。
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